yamanashi.jpg (12132 バイト)山梨の魅力紹介 2.自然景観

「山に囲まれた小宇宙」

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山の都、交流拠点

湖水伝説

自然博物館(山梨百名山)

甲斐八景

山の都、交流拠点

   日本列島の中央に位置する「日本のへそ」山梨県は、東京都、神奈川県、埼玉県、静岡県、長野県の1都4県に接し、国土面積の1・2%を占める全国34番目の大きさの県です。そのうち77・8%が山林で、全国4位の森林県です。昔から使われている地名「甲斐(かい)」も、山と山の狭間を意味する「峡(かい)」から付いたといわれています。

  現在でも、甲府盆地の東西南北中央を、峡東、峡西、峡南、峡北、峡中地方といっています。しかし、近年専門家が発音上の違いを指摘し、「峡(かい)」ではなく「交ひ(かい)」から付いたという説もあります。甲斐の枕詞「なまよみ」は「半黄泉」と書き、黄泉(よみ)の国への境界となっている国、他界(海)と現し国(陸)の交叉する境界の国という意味ではないかというのです。あの世に一番近いのが山であり、富士山や金峰山に見られるように、昔から山岳信仰の対象でもありました。

  どちらにしても山とは切っても切れない「山の都」「交流拠点」「山の囲まれた小宇宙」が山梨です。

湖水伝説

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甲府盆地と富士山

   甲府盆地は、太古湖であったといわれ、湖水伝説が残っています。甲斐の国司が飢えに苦しみ民衆を救うために、大己貴命に祈願して、甲府盆地南端の鰍沢口(かじかざわぐち)を開いて水を流し、甲府盆地を切り開き、富士川ができたといわれています。チャイナの兎王の治水の故事にちなんで、「兎之瀬」と名づけました。

   それを祭った神社が、(甲府市宝2−8−5)として残っています。各地にも、同様の神を祭ったものとして、鰍沢町鬼島の蹴裂(けさき)明神、中道町の上向山や石和町河内にある佐久(さく)神社があります。

   実際甲府盆地の下には地底湖があり、信憑性がないとはいえません。

【見所】[甲府盆地][甲府市の穴切大神社][鰍沢町の蹴裂明神][中道町の佐久神社][石和町の佐久神社]

自然博物館(山梨百名山)

   山梨の山は、南には日本一の富士山はじめ、富士山の噴火でできたといわれる富士五湖(富士箱根国立公園)や御坂山系、西には日本二の白根三山の北岳をはじめとする南アルプス連峰(南アルプス国立公園)、北には昇仙峡や金峰山(秩父多摩甲斐国立公園)、北西には八ヶ岳(赤岳2,899m)や清里高原(八ヶ岳中信高原国定公園)、北東には大菩薩嶺や多摩川の源流、東には笹子峠から県境には関東山地があります。

   3つの国立公園と1つの国定公園、2つの県立自然公園に抱かれた山梨は、標高200m台から3,000m台の高低差があり、自然と動植物に恵まれ、まさに山の囲まれた小宇宙、自然博物館です。

   自然公園面積比率は28・7%(全国3位)で、県都甲府市の日照時間が全国4位、降水量が全国一少ない地域です。昨年山梨県は「山梨百名山」を選定し、8月8日を「山の日」として、地域の内外に山梨の山のすばらしさをアピールしています。

 

(出(出典)「主な山梨百名」山梨県のホームページより

【見所】[山梨の山][山梨百名山]

 

甲斐八景

    江戸時代甲斐を治めた、5代将軍綱吉の側用人として権勢を振るった柳沢吉保とその子吉里父子は、甲斐のすばらしさを「甲斐八景」という歌にまとめました。

   第1は、「夢山春曙」、夢見山の春の曙です。甲府駅の北側にある夢見山は、武田信虎が1521年信玄誕生のとき、信玄は鎌倉時代の英雄曽我兄弟の弟五郎の生まれ変わりだという夢を見た所です。

   現在では、県立愛宕山子どもの国の一部になっています。車で行け、県立青少年科学館やフィールドアスレチック、子ども遊具があり、愛宕山から徒歩で、夢見山に行けます。甲府盆地が一望でき、そこから見た春の曙は美しいと思います。

    第2は、「石和流蛍」、石和の蛍です。残念ながら現在は見られません。石和は歴史的に交通の要衝として、甲府に移るまでの武田家の拠点でした。1961(昭和36)年に温泉が涌き、青空温泉から旅館ホテル100軒以上が立ち並ぶ一大温泉郷となりました。今蛍を見るとすると、6月蛍が乱舞する下部温泉がある下部でしょう。

    第3は「竜華秋月」、永慶寺の仲秋の名月です。柳沢親子が権勢の限りを尽くして造った大寺院が永慶寺です。吉里が大和郡山に転封後、その寺は取り壊されてしまいました。当時の名残は、今は移築された大泉寺の山門のみです。その寺の跡地は、武田神社の手前を東に入った岩窪町の護国神社になっています。

kofu-mtkinpu.jpg (3927 バイト)      第4は「金峰暮雪」、金峰山の夕暮れ時の雪です。古くから霊山として知られた金峰山は、山頂に御像石と呼ばれる蔵王権現が祭られています。山岳信仰の拠点です。山頂にある山宮に対して、登山口には金桜神社が里宮として祭られています。現在登山ブームで、日本百名山の一つとしても有名です。
 

   第5は「富士晴嵐」、富士山の晴れた日の山気・かすみです。富士山は、日本の最高峰であり、世界に知られています。白山・立山とならび日本三霊山であり、富士山の噴火を鎮めるために、浅間大神(あさまおおかみ)が山神として祭られています。

    中世には、富士吉田や河口湖に御師(おし)と呼ばれる、富士登山者(道者)を檀那(信者)として、宿坊を営んで宿泊させ、祈祷を行い、登山期以外には「檀那廻り」と称して諸国の信徒に御札をわかち、初穂を受けるようになりました。近世になって、修験者が病気直しや安産、雨乞いなどの庶民の現世利益の要求に応えるようになり、江戸時代になって富士講が隆盛しました。「江戸は八百八町、八百八町に八百八講」といわれるほど盛んでした。

    当時は夜明け前に新宿を出発し、甲州街道を30余里、2泊3日で吉田口に到着します。吉田の金鳥居から上へ、左右に御師の宿坊が立ち並んでいたました。道者は、前庭の清流で潔斎し、宿坊内の神殿に参拝し、祈祷を受けたのち、そこに宿泊して、翌朝富士山の頂上をめざしました。今でも当時の御師の家が残されています。

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富士山と河口湖

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南アルプス連峰

 

   第6は「酒折夜雨」、酒折の夕立です。古事記や日本書紀に出てくる酒折宮は、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の途中立ちより、火を焚いていた老人と歌問答を交わしたところです。そこから、連歌発祥の地として有名です。今でも神社として残り、古のロマンを現在に伝えています。

    第7は「恵林晩鐘」、恵林寺の晩鐘です。武田信玄公の菩提寺です。「心頭滅却すれば、火自ずから涼し」で有名な山門があります。そこの晩鐘は時代の流れを忘れさせてくれます。

    第8は「白根夕照」、白根山の夕映えです。富士山に次いで、日本で2番目に高い南アルプス連峰の白根山に沈む夕日と夕焼けは、現在でも格別だと思います。

   

  【見所】[夢見山][武田信虎][石和][下部][金峰山][金桜神社][富士山][酒折宮][恵林寺][白根山]

yamanashi.jpg (12132 バイト)山梨の魅力とは何か【目次】

1.歴史 「信仰の拠点、武田三代の都」

2.自然景観 「山に囲まれた小宇宙」

3.温泉 「県都中心部で、県内各地でも温泉が湧く」